お知らせ
紋別(ふるさと)のために役に立ちたいみなさんへ
みなさまからのご寄付は、子どもからお年寄りまで楽しめる文化事業に活かされます。
郵便振替、銀行振込、クレジットカード、コンビニでの寄付の方法を選べます。
また、紋別文化連盟は、認定NPO法人です。ご寄付は確定申告の際に税金の控除を受けることができます。
紋別文化連盟の発行する寄付金受領証明書を添付して確定申告をすることで優遇が受けられます。 尚、控除対象の金額は3,000円以上です。
詳細は、寄付のページをご覧ください。
「文芸オホーツク」編集委員会では、作品の募集を下記の要項で行っております、
詳細は、PDFをご覧ください。
※「すずらん街(通称親不孝坂)」の情報を
今秋発行する文芸オホーツク23号の特集は、戦後の昭和22年頃?から昭和39年まで紋別の酒場街として世の男どもがあしげく通い、いつしか親不孝坂(通称)と呼ばれるようになった「すずらん街」を取り上げることにしました。
場所は、現在の消防本部と中央公園の間に位置し、入り口には「すずらん街」と書かれた電飾アーチがかかっていました。
終戦後、満州・樺太方面から多くの引揚者が紋別に帰ってきました。そして生計を維持するために、紋別劇場前(港町4)の道路に古板切れで作った屋台を始めたのです。が、酒精が引き起こす暴力沙汰が原因で、立ち退きを迫られました。その人たちを収容する「授産施設」として作られたのが縦マーケットでした。
「すずらん街」の愛称で、約12店が素人営業を始めたのです。その後、横マーケットも作られて共に繁盛したようです。
現在、70歳上の方々ならばご存知かと思われます。
昭和40年に市役所新庁舎が建設されることになり、39年に取り壊しが行われました。その場所で営業していた人たちは新天地(幸町五・六)に移転して、現在の「はまなす街」の原型を作りました。
すずらん街が取り壊されてすでに半世紀近くになります。今、〈昭和の記録と〉して残しておかなければ忘れ去られてしまいます。
編集委員会では、左記について広く市民の方々から情報を集めています。匿名も受け付けます。聞き取りもします。ご協力のほどよろしくお願いします。
◆当時のすずらん街の写真
◆生活の様子
◆親不孝坂にまつわる(楽しい、苦い)想い出
◆縦、横マーケットに関する想い出などをお寄せください。
送付先:幸町3「茶豆館」内文芸オホーツク編集員会宛
問い合わせ先:電話23―6081佐藤まで
メール問い合わせ:office@monbunren.com
文芸オホーツク編集員会
紋別文化連盟は、平成25 年12 月26 日「認定NPO法人」に認定されました。
ご寄付は税金の控除を受けることができます。
★認定番号:道生第2115指令
詳細は文連だよりvol.21でお知らせします。